人は料理によって、特別な光景をよみがえらせることがあります。
お祝いの日にはかならず出てきた母の得意料理、感動の瞬間に彩りをそえたひと皿、時にはほろ苦い経験と結びついた味もあるかもしれません。
料理がつむぐ、あなただけのストーリー。
「いの一番® 」では、発売60周年を記念し、そんな「想い出ごはん」を募集しました。
あなたの中の想い出を多くの方と分かち合い、その料理を次の世代へ、またその次の世代へと伝えていきましょう。
人は料理によって、特別な光景をよみがえらせることがあります。
お祝いの日にはかならず出てきた母の得意料理、感動の瞬間に彩りをそえたひと皿、時にはほろ苦い経験と結びついた味もあるかもしれません。
料理がつむぐ、あなただけのストーリー。
「いの一番® 」では、発売60周年を記念し、そんな「想い出ごはん」を募集しました。
あなたの中の想い出を多くの方と分かち合い、その料理を次の世代へ、またその次の世代へと伝えていきましょう。
厳正なる審査の結果、金賞・銀賞の
発表をさせていただきます。
銅賞・「いの一番® 」賞に入選された方につきましては、賞品の発送をもって発表に代えさせていただきます。
嫁の目 さん
想い出のエピソード
「上手く包めなくなってきた。」今年89歳になる義父が言う。「そんな事ないよ。」と娘。我が家は主人の両親と子供3人の7人家族。誕生日には家族みんなで大量に餃子を作って食べるのが恒例行事だ。子供達が小さい頃は手取り足とりで包み方を教え「おお上手。」と褒めてくれた義父。褒めてくれ得意になる子供達。下手くそに包んでいた子が次の誕生日には上手に包めれるようになる。成長の証になった。
誰よりも上手に包んでいた義父が最近は手が震えて形良く包めなくなった。そんな高齢の証に皆がカバーの声をかけ義父の分も作る。焼きたての餃子を頬張ると笑みが溢れる。ダシと調味料に生姜に胡麻油。隠し味にエビを刻んで入れる。台北で食べた小籠包に近い味付けに工夫している。こんなに作って食べ切れるのかという程作るがすんなり皆のお腹に入る。お互いの誕生日を祝いながら作る餃子はこれからもずっと大切にしたい想い出ご飯だ。
おたまじゃくしはは さん
想い出のエピソード
私の母は当時珍しい「働くお母さん」で、私は週末以外を祖母の家で過ごしていたそうです。
初孫でもあった私は当然おばあちゃん子になりました。
そんな祖母が折々にご馳走として作ってくれたばら寿司が私の思い出ごはんです。
甘く味付けた高野豆腐や椎茸、錦糸卵。彩りの絹さや。
中でも一番好きだったのはジャコが入ってること。
子供の頃、ばら寿司作りも手伝いました。大きな半切りに硬めに炊いた米飯を入れ寿司酢を回しかけたら私の出番。団扇で素早くあおぎます。ごはんがつやつやしてきたら具をいれて… こうやって文章にしていると次々と思い出しますね。
そう広くない公団住宅の台所に「いの一番®」があったことも覚えています。
もう一度食べたい味、祖母のばら寿司。12月がくると祖母が亡くなって20年になります。
影山陽子 さん
想い出のエピソード
会いたいと思いつつ過ぎた四半世紀。私の想い出ごはんは色鮮やかな「トマトと卵の炒め物」だ。少しお酢とお砂糖を入れて、ほんのり酸っぱくて甘い味付けにする。教えてくれたのは中国人留学生の秀さんだ。
当時は二人とも20代。私は薄給のデパガで、ボロアパートに住んでいた。お隣が秀さんで、互いの部屋を行き来して一緒に夕飯を食べた。秀さんの手作り餃子も美味しかった。ラップフィルムの芯を麺棒の代わりにしていたよね。
秀さんとの出会いがきっかけで、私は日本語教師になり、50代の現在、大学で留学生に日本語を教えている。そうして「想い出ごはん」に応募する作文を学生たちと書いている。教室から飛び出て、リアルに読んでもらえる作文を書きたいと思ったから。
学生たちの描く中国の家庭料理を読みながら秀さんを想う。今どこにいるの?また会いたいよ。私は今でも教えてもらった通りに「トマトと卵の炒め物」を作って食べている。
生徒会長 さん
想い出のエピソード
「ねぇねぇその卵焼き美味しそう!私のと交換してみない?」友人と過ごす楽しいランチタイム。学生時代、家族の分のお弁当は私が作っていました。卵焼きは塩味が定番です。ふと覗いた友人のお弁当、卵焼きの色が違うのに気付きました。味がしみて見るからに美味しそう!友人は快く卵焼きの交換に応じてくれました。一口頬張ると口いっぱいにお出汁がきいた甘い甘い卵焼きの旨味が広がっていきます。その時の感動は今でも忘れられません。「ねぇねぇこれどうやって焼くの?調味料何?」後日友人のお母さんからのメモを頂きました。『卵2個、砂糖3杯、薄口醤油少々、「いの一番®」少々。弱火で焦がさない様に丁寧に巻きながら焼いてね。』と。
主人は卵2個にお水少し加えただけのシンプルな卵焼きにお醤油かけて食べるのが大好きです。卵焼きを眺めては47年経った今でも友人からもらったお母さんの愛情たっぷり「いの一番®」の卵焼きを想いだします。
サイサイ さん
想い出のエピソード
「みのむし揚げ」
なんとも変わったこのネーミング。
もちろん、本当にみの虫を揚げているのではない。
直径5cmに切った鶏のささみに千切りにしたじゃがいもをまぶし、高温の油でカラリと揚げる。
その姿がみのむしに似ていることから「みのむし揚げ」と命名されたらしい。
この料理、本当に美味しいのだ。
「みのむし揚げ」は、母が私に作ってくれたお弁当の定番メニューだった。
しかし、これは作るのに凄く手間がかかる。
私だったら作りたくない。
だけど、母は違った。私の喜ぶ顔が見たいが為に、朝早く起きて作ってくれていたのだ。その愛情を思うとただただ泣けてくる。
今は距離が出来てしまい、なかなか会うことが出来ない母。
しかし、この「みのむし揚げ」が今の母との絆を再確認させてくれた。
料理は愛情とよく言うが、「みのむし揚げ」は母の愛情が最高に伝わる「わたしの想い出ごはん」である。
もこもこ さん
想い出のエピソード
「ママ、お手てが切れちゃうよ」
手のひらの上で、豆腐を切ろうとした時のこと。息子が私のエプロンの紐を引っ張って大粒の涙を浮かべました。実際、手が切れることはないのですが、3歳の息子には通じない様子。あまりに息子が泣きやまないので、仕方なく、豆腐をまな板の上に下ろして切りました。お味噌汁の具にしようと思っていた木綿豆腐は、もうぐちゃぐちゃです。お豆腐は、そのすっきりした切り口が美味しさの秘密なのに、これでは台無し。思わずため息がこぼれました。
そのとき、ふとあるアイディアを思いつきました。「この、ぐちゃぐちゃのお豆腐を、あったかいご飯にのっけたらどうだろう?」――私はさっそく、炊きたてのご飯に豆腐をのせ、醤油を回しかけ、「いの一番®」と浅葱をパラパラ振ると、全体をかきまわして、レンゲで一口。固めの熱々ご飯と、柔かい豆腐が口の中で混じって、思いのほか美味しいのです。「豆腐ご飯」は息子も大好物。
たなたな さん
想い出のエピソード
幼稚園に通っていた時、お弁当によくほうれん草のごま和えが入っていた。私は食べるのが嫌で先生に残したいと伝えると先生は「美味しそうじゃない!先生も食べたい!」と言うので一口あげると「わぁー!美味しい!お母さんお料理上手だね、先生に作り方を教えて!」と感動してくれた。帰宅してすぐに母親にこの話を伝え、次の日の弁当には先生の分と私の分のほうれん草のごま和えを作ってもらい持っていった。いつの間にかほうれん草のごま和えが食べられるようになり大好きな食べ物になっていた。大人になり私も幼稚園教諭となり、こどもたちのお弁当にほうれん草のごま和えが入っているのを見た時にこの出来事を思い出す。今思えば先生は私に無理に食べさせようとはせず母親が作ったお弁当のありがたみ、食べ物の大切さを教えてくれてたのだと思う。この経験は教諭として過ごしていた私に大切な教えとなりいつまでも忘れられない想いでとなっている。
めめこ さん
想い出のエピソード
幼少期から裕福ではなかった家の親子丼は豆腐を揚げた手作り厚揚げと卵タマネギで作ったシンプルな物
これをずっと親子丼として食べていた
父も母も明るくて家族でこれを食べながら本物は鳥肉で作るんだよ、プリプリだよ!と私の頬をつついて笑う
そんな食卓でした もう母は他界し父は要介護です
たまに厚揚げの親子丼を私が作り父に出すと笑みを浮かべ嬉しそうに食べてくれます
あの頃の話はしませんが記憶に残っているのだと感じてます
プリプリしないけどあっさりして美味しいですよ
ゆっこちゃん さん
想い出のエピソード
幼い頃から大学の進学までの18年間、体調を崩したり、風邪を引いて寝込んだりした時に母が作ってくれた温かい雑炊。
昆布といりこで出汁を取って、ごはんに卵とちりめんだけ入れて煮込む。
シンプルなんだけど、本当に美味しくて
寝込んでいるのにお代わりしてしまうぐらい美味しかったです。
翌日は、体調も良くなり、元気に学校に通えたのはやっぱり母の愛と美味しいお米で作ったお粥です。
現在は、私は、2児の娘の母。
親がしてくれたことを娘達に。ごはんの想い出を娘達にも作っていきたい。
涌井和子 さん
想い出のエピソード
子供の頃から私は母が作ってくれる「しょっぱらまんま」が大好きだった。それは地元で採れる、あまんだれというキノコをメインに椎茸やさつま揚げ、人参などを出汁や醤油、酒などで炒め煮して炊き立てご飯と混ぜ合わせる。あまんだれのショキショキ感がたまらず美味しい。こんな思い出がある。私はつわりが重く何も食べられないと泣いて母に電話した。すると翌日、母は猛吹雪の中バスを乗り継ぎ「しょっぱらまんま」を届けに来てくれた。私は嬉しさで泣きながら食べた。すると不思議なことにその日を境にピタリとつわりは治まった。年月は流れ、母は認知症になった。初孫を見せに行った日も「しょっぱらまんま」を作って待っていてくれた。具は不格好に切られたさつま揚げだけ。「おいしいよ」と言って食べる娘の目には涙が光っていた。母の最期の「しょっぱらまんま」に、あまんだれは無かったけれど愛情という調味料が加わって、それはそれは優しい味だった。
陶子 さん
想い出のエピソード
30年前、私は祖母と暮らしていた。実家が大学から遠かったため、祖母の家に下宿していたのだ。
祖母は私に、たくさんの愛情を注いでくれた。学校から帰ると、6時のニュースを見ながら、祖母の手料理を一緒に食べる。ありふれた日常だったが、いつも笑っていたように思う。私は、祖母が台所で歌う鼻歌を聴くのが好きだった。夕食の準備をしながら、穏やかな表情で歌っていた姿が思い出される。
そんな祖母の想い出ごはんは「ハヤシライス」だ。肉じゃがにケチャップやウスターソースを加えアレンジした、オリジナル料理である。
ちょっと甘めで、酸味が絶妙のバランスだった。
落ち込んだ日も、頑張った日も、嬉しかった日も、リクエストして作ってもらった。
大学卒業後、私は一人暮らしを始め、レシピを教わるタイミングがないまま、祖母は亡くなった。現在母親になった私は、ハヤシライスを作っている。大好きだった祖母の味を再現しながら。
ふくだるま さん
想い出のエピソード
「母の味」と聞いて思い出すのは、揚げなすの三杯酢漬けだ。名前の通りに酢揚げしたなすを三杯酢に浸しただけのシンプルなおかずだが、私はこの料理が大好きだった。夕飯時に何が食べたいかと聞く母に、揚げなすが食べたいと言うと、「そんなのでいいの」と笑って作ってくれた。斜め切りにしたなすを油でジューシーに揚げ、深皿にたっぷり注いだ甘めの三杯酢にドボンと浸ける。浸けたそばから私がつまんでいくものだから、わんこ蕎麦ならぬ、わんこ揚げなす状態であった。熱々トロトロのなすの食感と、甘酸っぱい三杯酢の風味が口一杯に広がり、幸せを感じる味なのだ。これさえあれば、食欲がない日でもご飯がいくらでも進むのだから、不思議だった。
実家を離れてから、ネットで揚げなすのレシピを探して作ってみたが、母の味とは遠く、がっかりしたことがある。
コロナが明けたら実家へ帰ろう。そして、今度は母に習いながら一緒に作ってみよう。